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三千年とも四千年とも言われる歴史がある中国において、上海の歴史はさほど古くありません。13世紀の中頃に村らしきものが生まれたようですが、実際、飛躍的に発展し、街らしくなったのは、南京条約(1843年)締結以後、英(1845年)、米(1848年)、仏(1849年)の租界が始まった頃からと言われています。
上海は10世紀以前は沼、湿地などが多い漁村でしたが、唐の時代(7-10世紀)に干潟が始まりました。黄浦江、長江の河口地に立地条件は中国の内陸地と東海岸各地との物資輸送の中心地として最適だったため、唐時代以降、港町として発展していくことになります。特に南宋時代に街は大きくなっていきます。南宋時代の13世紀後半には貿易の監督官庁が上海に設けられ、さらに13世紀末には上海県の県都して市街地が整備されていくのです。14世紀の元時代に始まった綿花の栽培は、明時代(14-17世紀)には上海の主要な産業となる綿織物業となって上海の発展に貢献していきます。このように「上海県」の歴史は上海は清時代に1842年にアヘン戦争に負けて開港するまで「上海県城」(現在の豫園付近)を中心に展開していくのです。
以上が上海の第一の歴史なら第二の歴史は上海開港後の、欧米諸国が入ってくる租界時代から始まります。
アヘン戦争後の南京条約(1843年)締結後、英(1845年)、米(1848年)、仏(1849年)が上海に租界とよばれる居留地を設けます。日本も、日清修好条約(1871年)以後租界に参入しましたが、対米英開戦(1941年)後、日本軍が租界を占領し、約100年にわたる租界時代は終わりを告げました。上海人はこの100年にわたる租界時代に、海外の文化、生活様式に接し、独立心・冒険心が旺盛となり、さらに、今日の外資導入による経済発展の土台となる、国際人としての感覚を身につけていきました。
その後、日本の敗戦(1945年)により、上海は完全に中国に戻り、一時国民党が統治していましたが、1949年中国共産党の勝利により、中国最大の貿易港として工業、科学技術の基地となります。その後は文化大革命の発端となり、四人組を輩出、一時期、経済や文化面も後退しましたが、80年代になると改革開放政策が打ち出され、再び上海人のパワーを発揮して今日の発展へと繋がりました。
最近ではさらに進んで浦東新区の開発により、上海を国際的な金融、貿易、経済センターとし、揚子江を一頭の龍に見立て、龍の頭として揚子江沿岸の経済をリードしていくことを目指しています。
上海は都市としての歴史が短い。1843年に開港し、20世紀初頭には「魔都」や「東洋のパリ」と呼ばれ、アジア屈指のコスモポリタン・シティーとなった。その後、一時はトップの座を他の都市へ譲り渡したが、再び中国経済の先頭に立った今、世界中から熱い視線を集めている。
「上海は中国ではない。独立したグローバル都市だ」。ある日系企業の中国担当者は、そう言い切る。確かに上海は中国の中でもきわめて特殊な街で、見方を変えれば、最もグローバルな街といえるだろう。
1970年代、中国は、知識の価値が否定される「文化大革命(※1)」の時代にあった。そんな時代のさなかにも、上海の人々は自分の子どもに「英語だけはしっかり勉強しろ」と言っていたという。
グローバル都市・上海の象徴といえば、中心部を流れる黄浦江(おうほこう)の波止場・外灘(バンド)であろう。ライトアップされた、美しい夜景で有名なこの地区には、バロックスタイルやアールデコ様式など租界時代(※2)の重厚な石造建築がぎっしりと建ち並ぶ。対岸には近未来都市を思わせる、世界最先端の奇抜なデザインの超高層ビルが聳(そび)え立つ。まさにグローバルな建築博物館を思わせる場所である。
上海は、中国各地からやってきた人々が集まって形成された移民の街でもある。さまざまな地域の文化が混ざり合っており、それを見てとれるのが中華と西洋が一体となった上海独特の建築「石庫門(※3)」である。正方形の集合住宅の中には部屋が列になって並んでおり、十数世帯以上の住民が生活している。この建築様式には中国の伝統的な建築に見られない開放感が感じられる。
その石庫門も、都市開発により急速に姿を消しつつあるが、最近では、その原型を残しながら近代的な内装を施した、おしゃれなスポットも増えている。その代表とも言える「新天地」一帯は、人々のノスタルジーをかき立てる、今の上海で最も熱い観光スポットである。
(※1)文化大革命(ぶんかだいかくめい):1966年に始まる中華人民共和国内の大規模な思想・政治闘争。毛沢東らが中心となり、行政の実権を奪って、多数の粛清者を出した。プロ文革。文革。
(※2)租界時代(そかいじだい):19世紀後半から解放前の中国の開港場で、外国人が行政権と警察権を握っていた地域があり、ここではその頃のことを指す。
(※3)石庫門(せっこもん):枠を石門で築いた表門がある上海独特の建築様式。
豫園は旧・上海城内にある中国式庭園です。明の時代の1559年に建てられ、1577年に約70ヘクタールに拡張された江南の有名な庭園の一つです。〝豫悦老親(親戚たちと愉快に楽しく)〟との意味で豫園となずけられました。アヘン戦争時、一部分が破壊され、以後、商店街や学校等として使用さました。1956年から修復作業が始まり、30ヘクタールに庭園として今に至ります。
大小たくさんの楼閣が建ち並び、池や石山や橋など、中国の古典庭園を楽しめます。また、豫園の周辺には豫園商場があります。かつては城内の中心マーケットとして栄えていたそうです。いわば、上海の下町です。
上海は中国最大の経済の中心都市で、総面積は6340.5平方キロ、2005年の年末時点で約1,800万人が生活しています。
90年代に入り、浦東地区の開発の開放と国際的な経済、金融、貿易センターになることを目指す路線を推し進め、国民経済の持続的、加速度的、安定的な発展を実現してきました。
上海の工業総生産額は全国の十二分の一で、上海港の荷役量と、輸出入貿易量は全国の1/5を占め、その財政収入は全国の1/9にも達します。中国の経済発展において非常に重要な地位を担っている場所です。
上海は亜熱帯の湿潤季節風気候に属しており、四季がはっきりしています。夏は湿気が多くて暑く、冬は寒いのが特徴です。一番寒い1月の平均気温は3℃以下で、最低気温はマイナス5℃~7℃。一番暑い7月の平均気温は28℃、7.8月の最高気温は36℃~37℃で、過去の最高気温は40.2度を記録したことがあります。無霜期は3月の末から約8ヶ月半も続きます。日中の平均気温が0℃を超える日は340日以上で、10℃を超える日となると230日もあります。。年間降水量は1100ミリ、成長期の耕地の水分過剰量は約350ミリ。6月の中旬から7月の上旬までの約20日間は長雨が続く雨季となり、7月から9月にかけては、沿海地域では常に台風と嵐が伴って現れます。
大多数の上海人は政治よりも商売に関心が高く、集団よりも自己を優先します。中国の他の地域の人々は、そんな上海人のことを「精明」と呼びます。「精明」とは、頭がよい、知恵が働くという意味ですが、たとえ小さなことでも知恵を絞り、利益を得ようとする上海人の特徴を最もよく表現しているといえるでしょう。
中国北部では、人との交流の場に酒は不可欠です。酒を飲み、意気投合すれば、取引も成立しやすくなります。しかし、実用性を重んじる上海人は、商談の際にも常に冷静さを失わない。情より実を取る上海人はきわめてクールであり、交渉相手としては大変手ごわいと言われています。そのクールさは慎重な性格の現れでもあり、上海人はリスクの高いことに、ほとんど手を出しません。また、いったん交渉が成立すれば、しっかりと契約通りに実行します。
上海人は緻密な性格といわれていますが、そのきめ細かい上海人はモノ作りに長けており、「上海製」と言えば、昔からハイクオリティーの代名詞です。

